古武術から「無意識」を探る――古の武術に学ぶ 無意識の力

本の紹介

古武術研究家の甲野善紀氏と「受動意識仮説」を提唱する工学教授の前野隆司氏の対談(主に前野氏が聞き手)をまとめた一冊。

内 容

甲野氏が若かりし時に得た人生のテーマ「運命は完璧に決まっていて,同時に完璧に自由である」を軸にすすむ。甲野氏はこのテーマを追求するために武術の世界に足を踏み入れ,70歳になった今でも技と術理が進展しているとか(たしか,10年前の本では「60歳になっていちばん身体が動く」と言っていたような…)。

その甲野氏の武術の定義は「矛盾を矛盾のまま矛盾なく,取り扱う」

僕自身,甲野氏の存在を知り合気道をはじめましたが,この「矛盾を矛盾のまま」というフレーズは稽古を通じて体感として,なんとなくわかるようになってきました。

甲野氏は無意識のちから――「我ならざる我」を出す方法として「影観法(えいかんほう)」を紹介し,人間が持つ潜在的な能力を考察する。また,潜在的な部分に働きかけ,身体に効果をもたらす「ヒモトレ」を紹介。多くの人に試して効果があることはわかったが,なぜ効果があるのか理由がまったくわからないと笑う。


(「ヒモトレ」は職場でも導入しようとしましたが,精神科でヒモは自殺対策の観点から断念しました…)

さて,運命は決まっているのかという議題。自由意思の研究では,ベンジャミン・リベットによって単純な意思決定も無意識が先に決めていることがわかっている。どんな決断もすべて無意識の内の出来事ならば,運命同様,無意識も自分の力で超えることはできないのか。対談は古今の宗教家や武術家などのエピソードを交えすすんでいく(人物や用語の解説はページ下部に書かれている)。

「不自由であるが,自由でもある」という矛盾。それをどう捉えればいいのか。甲野氏は語る。

それを乗り越えるというより,どう飲み込むかなんです。矛盾した状態を,無理にではなくそのまま飲み込む。

運命や無意識という自分ではコントロールしきれないものに「納得する」。その手がかりになる一冊。

目 次

はじめに 前野隆司
第1章 古武術と無意識,そして運命
運命は完璧に決まっていて、同時に自由である/古の武術研究の世界へ/運命のような出会いの連鎖/あらゆる事象が技のヒントになる/目の前にあっても見えていないもの/古希(70歳)になって気づいたこと/受動意識仮説

第2章 古武術の「技」に見る意識と無意識
「我ならざる我」が自分を動かす影観法/反復練習ではなく、フローが可能にする動き/チリ地震津波がヒントになった技「響きを通す」/フローと「弥陀の本願信ずべし」の共通点/無意識の予測を裏切る「生体起震車」/古の武術家がつかっていた身体運用の回路

第3章 わたしたちは「人間」をまだ知らない
原理を疑い、実感を深める/原理は不明、しかし効果はある/人間に備わる潜在的な能力/ただのヒモを巻くだで身体が変化する/ヒモトレには繊細さとアバウトさが同居する/無意識の声を聴く古来の技術「三脈探知法」/無意識の感情「本心」をわたしたちは知らない/無意識のマグマを探す旅/「任せる」ということの難しさ/「立つ」ではなく、「座るのをやめる」/「ただやる」ためには「やろう」としないことが大切

第4章 無意識に学ぶ,無意識に教える
科学と無意識/「技は盗め」は無意識の学び/「努力しろ」より「努力させない」指導/現代版丁稚奉公は教育にも有効か/易→難の順に学ぶカリキュラムは万能ではない/本能的な能力と、生まれたあとで獲得する能力/本当はできるのにできない、見えているのに見えないということ/深い学びは「直に」入ってくる/フロー状態で発揮させる人間の「超」能力/興味と緊張感が人を成長させる/人間の身体は冗長構造であり複雑系

第5章 無意識が拓く幸福な未来
古武術から見える現代と未来/AIから見れば潜在能力はバグなのか/死との向き合い方/無意識に湧きあがる罪悪感/運命が決まっている、という自由/「信仰」という運命の受け入れ方/本当のことはわからない/未来を拓くのは科学か、それとも/人生に納得できれば幸福になれる

おわりに 甲野善紀

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