京大卒の臨床心理学博士が不思議の国・精神科デイケアに迷い込んだお話。
僕自身デイケアで勤務しているんですが、「京都大学=分析系のハカセが小難しい用語で文学的にまとめているんだろうなぁ」と思いしばらく手を出さないでいました。ところが、新聞に大きく書評されていたり、いろんな賞をとったり、Amazonレビューの高評価を見たりと、デイケア勤務の心理士としては読んどったほうがいいかな,と手に取りました。
数ページ読んで思いました。「あ、これ面白い」
著者の勤務していたデイケアは「居場所型」のようで、僕のところはどちらかというと「居場所型」と「通過型」の中間あたり。デイケアのタイプは違うものの、メンバー(利用者)の言動や雰囲気、接し方に戸惑うところなど、うんうんと頷きながら読み、違うところも違和感なく読み進められた。特に、後半は何度も読み返した。
本書のテーマの1つ、「ケア」と「セラピー」について
著者はこの2つの違いをいろいろと考察しているが、僕なら「ケア」は「自己治癒」、「セラピー」は「問題解決」とするでしょうか。「ケア(治癒)」はこちらかあれこれ何かしようとするのではなく、治癒を促す「環境を整える」が職員の仕事となる。一方「セラピー(解決)」は個別性が高く、時には嫌なものと向き合わせ、克服へとサポートをする。どちらが重要かではなく、どちらも重要。ケアだけでは現状に甘んじて停滞してしまうことがあるし、ケアに目が届かないセラピーは負担を強いて害になるおそれがある。2つは成分であり、その時々での配分が大事という著者の意見には「そのとおり!」と嬉しくなる。
「ケア」は「セラピー」より格が下?
ただ、心理士は「ケア」の仕事を低く見る傾向がある。著者もそうだったようだが、僕自身もデイケア勤務前はそのような印象があった。「ケア」が大事なのは知っているけど、「セラピー」の方が仕事として格が上、と。
そこから、なぜ「居るのはつらい」のかに繋がっていく。特に「居場所型」のデイケア勤務ではそう思いやすいと思う。では、なぜ、「セラピー」と比べ「ケア」は格が下のように思ってしまうのか?それは「セラピー」の方が心理士として患者に良い変化――「価値」を提供できると思っているから。そして、社会もそちらに「価値」を置いている。
自分の仕事に「価値」があるのか?デイケアを居場所にしている人は、変化をあまり好まない。著書にも書かれているが、メンバーの内面(精神状態)は幻聴や不安、強迫、フラッシュバック、気分の浮き沈みなど、すでに変化で溢れている。その上でさらに環境が変化してしまうと、一気に調子を崩してしまう。なので「ケア」の場では、曜日ごとの違いはあっても「いつもと同じ」環境を作ることが仕事になる。そして、「いつもと同じ」が繰り返される。いつしか思うようになる――「本当にこれでいいのか?」と
「いつも同じ」では価値がない?
メンバーが求めるものと社会が求めるものにズレがある。そのズレが、物語をブラックな方に向かわせる。Eクリニックを引き合いに、デイケアのダークサイドに触れる。終盤、自分を守るためのあるアイテムが登場した時、ハッとなる。この物語には、登場すべき人物が一度も登場していないことに気づく。その人物はメンバーの対応方法に大いに関わり、職員の仕事の「価値」を評価する、物語にとっても重要な役回りであるはずなのに。
残念ながら、最後は救いはあるものの,ハッピーエンドとは言えない結末を迎える。「最後の一滴」があふれた原因、著者は主旨から外れるからと具体的には語らない。しかし、そのような結末へと向かわせた力がなんであったかをしぶとく論考し、ある答え――矛盾――に気づき,提示する。この答えは、デイケアの仕事をしている者なら、言葉にできなくとも薄々感じとっているものかもしれない。
「ケア」とその「価値」について、世間ではあまり知られていない精神科デイケアを疑似体験できる良書です。
居るのはつらいよ:ケアとセラピーについての覚書
目次
プロローグ それでいいのか?
第1章 ケアとセラピー ウサギ穴に落っこちる
第2章 「いる」と「する」 とりあえず座っといてくれ
第3章 心と体 「こらだ」に触る
第4章 専門家と素人 博士の異常な送迎
幕間口上 時間についての覚書
第5章 円と線 暇と退屈未満のデイケア
第6章 シロクマとクジラ 恋に弱い男
第7章 治療者と患者 金曜日は内輪ネタで笑う
第8章 人と構造 二人の辞め方
幕間口上、ふたたび ケアとセラピーについての覚書
最終章 アジールとアサイラム 居るのはつらいよ
文献一覧
あとがき
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